丸川珠代さんといえば、元テレビ朝日アナウンサーから政治家に転身した異色の経歴の持ち主ですね。
現在は夫・大塚拓さんとともに、自民党の裏金問題に揺れています。
そんな丸川珠代さんですが、若い頃が位になる方も多いのではないでしょうか?
今回は、丸川珠代さんの若い頃について、調査しました!
それでは、どうぞご覧ください。
丸川珠代のプロフィール
生年月日:1971年1月19日(53歳 ※2024年時点)
出身地 :兵庫県神戸市
学歴 :東京大学経済学部経営学科卒業
前職 :テレビ朝日アナウンサー
丸川珠代さんは神戸市出身で、非常に厳粛な家庭で育ました。
エリート一家に生まれた
父親:兵庫医科大学の教授
母親:クリニックの開業医
妹 :アメリカでエンジニアとして活躍
まさにエリート一家に生まれた、丸川珠代さん。
過去に兵庫医科大学で救急・災害医学の教授を務めていました。
吹田徳洲会病院の救急・集中治療部門の部門長も務め、阪神淡路大震災では救急医療で活躍。
多くの人々の命を救っています。
丸川珠代さんの両親は6歳の頃に離婚し、その後は母子家庭で育ちました。
母親は医師で、兵庫県神戸市で耳鼻咽喉科「丸川耳鼻咽喉科」を開業しています。
若い頃に外科医としてのキャリアを重ね、後に開業医に。
神戸市内で、地域に密着した医療を提供していました。
母は、子供たちを育てるために、懸命に働いていたようですね。
母親は教育熱心で、「東京に行きたいなら東大以外許さない」と言われたほど。
丸川珠代さんはその言葉どおり努力を重ね、東大に現役合格しています。
丸川珠代の学歴
神戸大学教育学部附属住吉小学校
神戸大学教育学部附属住吉中学校
大阪教育大学附属高校池田校舎
東京大学経済学部
丸川珠代さんは、小学校から私立の付属校に通っていました。
大学3年生のときに選抜高校野球のリポーターを務め、アナウンサーを志すように。
東京大学卒業後はテレビ朝日に入社し、アナウンサーとなりました。
『ビートたけしのTVタックル』など、バラエティ番組や報道番組に数多く出演。
2007年に政治家へ転身し、自民党から参議院選挙に出馬して初当選しています。
【画像】丸川珠代の若い頃
丸川珠代さんは、若い頃からクールビューティ―で知られていました。
振り返ってみていきましょう。
大学時代
大学時代にはファッション誌「JJ」で、読者モデルを務めていました。
「JJ」の同期には高田万由子さんもいたそうですよ。
このころから雑誌で「東大特集」が組まれ、丸川珠代さんらは東大タレントの先駆け的存在でした。
アナウンサー時代
丸川珠代さんのテレ朝時代の画像です。
さすがクールビューティ、アナウンサー時代から凛としたたたずまいをしていますね。
1993年にテレビ朝日に入社して以降、「笑わないアナウンサー」と注目を集めていました。
丸川珠代さんは政治討論番組などにも出演し、常に真面目な姿勢を貫いています。
当時丸川珠代さんは、違和感を感じていたとか。
「かわいくておしゃべりの上手な子はたくさんいる。自分が面白くないことを、ニコニコ顔で伝えるなんて私はイヤだ」。
引用:産経新聞
そのため、「何か別のことを身につけないとこの世界で生きていけない」と思っていたそうですよ。
テレビタックル時代
笑の天才・ビートたけしさんの横で、一切笑顔を見せなかった丸川珠代さん。
「これは自分に向いている」と思ったそうですよ。
丸川珠代さんは関西出身で、大のお笑い好き。
普段はよく笑うそうですが、カメラにうつる際は笑わないようにしていたそうです。
だって、私が笑ってしまったのでは面白くないから。たけしさん以外はなにもかもが普通に、まじめに進行するから面白いのだと思います。
引用:産経新聞
実際、笑顔を見せない独特のキャラクターで、視聴者に人気を集めていました。
あえてビートたけしさんのギャグに笑わず、まじめに番組を進行するそのギャップが面白かったのですね。
なんとビートたけしさんから、「芸人にならないか」と言われたほどです。
たけしさんが、番組の忘年会のさなかに「ねえちゃん、芸人になんないかい?」と言ってくださったんです。ただ、私が番組で笑ってもらえているのは、たけしさんがすごいからだと分かっていましたから。
引用:産経新聞
ビートたけしさんを尊敬しているからこそ、芸人の道は選ばなかったようですね。
丸川珠代がアナウンサーを辞めた理由は?
丸川珠代さんは、安倍晋三さんとの出会いで、政治家に転身します。
丸川珠代さんは入社時から、ずっと海外赴任を望んでいました。
そして、ニューヨーク支局に1年間務めることに。
報道番組が軌道に乗っていただけに、周りは反対していましたが、どうしても行きたかったと言います。
支局では記者の勉強をして、改めて自問自答の毎日だったそうです。
東大出で、顔がキツくて、すぐに自分の意見を言いたがる―。周囲にそう批判され、自分でも「この仕事をいつまでやれるか」と感じていた。
引用:産経新聞
そして、2007年に安倍晋三さんと出会い、その人柄に触れ、政治家を目指すように。
安倍晋三さんの意向で、第21回参議院議員通常選挙の自民党候補者となりました。
出馬要請を受けて、テレビ朝日を退職。
参議院選挙へ出馬し、見事初当選を果たしました。
菅内閣や第3次安倍内閣では、
内閣府特命担当大臣
東京オリンピック・パラリンピック担当大臣
といった、数々の重要ポストを歴任。
アナウンサー時代に培ったコミュニケーション能力や、人柄が大いに役立ったことでしょう。
まとめ
今回は、丸川珠代さんの若い頃について、紹介しました。
丸川珠代さんはアナウンサー時代に「クールビューティ」「笑わないアナウンサー」と呼ばれ、話題になっていました。
安倍晋三さんとの出会いで政治家に転身し、アナウンサー時代に培ったスキルで才能を発揮しています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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